生まれ育ちは奈良。鹿が普通に出没
年 | 所属 | 備考 |
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1976(昭和51)年4月〜1979(昭和54)年3月 | 東大寺学園幼稚園 | 自宅近くには公立で2年保育の鼓阪幼稚園と、私立で3年保育の東大寺学園幼稚園があるが、より早くから通わせることができる後者を選択したと母が言っていた。 |
1979(昭和54)年4月〜1985(昭和60)年3月 | 奈良市立鼓阪小学校 | 家から近かったので、8:26ぐらいにひらけ!ポンキッキが終わるのを見てから家を出て走れば朝遅刻せず登校できた。明石家さんまさんの母校でもあるとのこと。 |
1985(昭和60)年4月〜1988(昭和63)年3月 | 奈良学園中学校 | この他に東大寺学園(受験当時は現在東大寺ミュージアムになっている東大寺南大門の近くにあった)と洛南(付属中学ができて初年度の募集で受験倍率は20倍ぐらいあったと聞く、試験監督が試験が終わってからなぜかロシア語の話をされていたのを覚えている)、計3校を受験。あと奈良教育大付属中学? 奈良女子大付属中学? も親は申し込んでたっぽいけど抽選で外れたんだったかな? とにかく奈良学園だけ受かった。所属したクラブは科学部(生物班と天文班があり、両方に所属、後に後者は独立して天文部になった)、交通問題研究部 |
1988(昭和63)年4月〜1991(平成3)年3月 | 奈良学園高等学校 | 所属クラブは中学と同じ。高2で理系クラスに入り、理科を2つ選択する際、学年でも超マイナーな物理・生物の組み合わせを選択。センター試験では理科を最大3科目まで受験できたので物理、化学、生物を受験。二次試験はA日程の大阪市立大・理学部、C日程の大阪府立大・工学部、後期日程の神戸大・理学部を受験し全滅。浪人へ。 |
1991(平成3)年4月〜1992(平成4)年3月 | 大阪予備校(現在は廃校) | 大阪市浪速区難波中三丁目にあったが現在は廃校となり存在しない。当初はE1クラス(理系の一番上のクラス)、夏の模試の成績がふるわずE2クラスに陥落。昨年に続きセンター試験は理科を3科目受験。二次試験は前期・後期で大阪大・理学部、C日程の大阪府立大(現在の大阪公立大学)・工学部を受験。前期・C日程は不合格で、後期にて第2志望の生物学科でやっと合格。 |
1992(平成4)年4月〜1996(平成8)年3月 | 大阪大学理学部生物学科(現在の生物科学科)(学士) | 所属サークルは天文同好会。4年での研究テーマは「トリカブト属植物における地理的隔離が遺伝的多様性におよぼす影響について」(だいたいこんなタイトルだったと思う、著者本人にも関わらず現物は手元にないので確認できず)。主に山地に生息する植物は地理的隔離が起きやすく、個々の生息地における遺伝的差異が蓄積されやすいと考えられる。トリカブト属の植物を用いてそのことを検証した。 |
1996(平成8)年4月〜1997(平成9)年3月 | 大阪大学大学院理学研究科生物科学専攻博士前期課程(中退) | 大学院重点化で定員が増えたこともあってか、院試には一応合格したけど、今後の方向性をもう一度考え直すため入学後すぐ休学(手続きの都合上、休学は5月から)。基礎科学よりは応用寄りのことに関わりたいという思いに至り、奈良から通える範囲内で検討した結果、奈良先端大(人工光合成に関する超分子の研究を行う研究室)と次項の大学院を受験。後者のみに合格しそちらへ進学することにして、大阪大学大学院は中途退学した。 |
1997(平成9)年4月〜1999(平成11)年3月 | 京都大学大学院エネルギー科学研究科 エネルギー社会・環境科学専攻 エネルギーエコシステム学分野(坂 志朗 研究室)修士課程(修士) |
木質バイオマスをベースとした循環型社会の実現に資する研究を行っている研究室。元農学部に所属し、エネルギー科学研究科に移籍した研究室で私が2期生。修士論文のタイトルは「酸性雨が土壌炭素の循環に与える影響について」のようなタイトルだったと思う(手元に見当たらず正確な名前は不明)。酸性土壌や塩基性土壌を採取してきて、それに木質バイオマスを構成する主要素の一つ「リグニン」を模した比較的低分子の化合物を合成して投与し、分解の程度を追跡比較し、酸性雨が炭素循環に与えるしくみを明らかにすることを目指した。 |
パソコン周辺機器メーカーのバッファロー(入社当初はメルコ)に約5年半勤務し、うち3年余りはネットワーク関連機器を中心にの試作品の検証に、1年余りはPCのしくみを理解するための研修講師を担当。あと、少しだけレンタルなどの新規事業の運用立ち上げなどに関わった。病気(膀胱がん)を理由に退職した後は地元の奈良に戻り、4ヶ月間中学校の理科講師を担当(欠員となった枠の年度内後任として)。そこで、改めて生き物のことを学び直したいと思うようになり、自然観察インストラクター養成講座(大阪市全環境保全教会主催)の受講と両立できるよう、勤務先を大阪市内に移し、パソコン教室の講師として約1年半勤務。その後、結婚を機に北摂に移住。その後大阪大学蛋白質研究所で日本蛋白質構造データバンク(PDBj)の公開サービスに関わる業務に従事(途中、雇用の都合で半年間だけ関西学院大学に勤務)。
年 | 勤務先 | 主な職務内容 |
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1999(平成11)年4月1日〜2004(平成16)年10月13日 | 株式会社バッファロー(正社員) |
※1999年4月〜5月は新入社員研修期間 |
2004(平成16)年12月〜2005(平成17)年3月31日 | 奈良県川西町三宅町式下中学校組合立式下中学校(常勤講師) |
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2005(平成17)年4月〜2006(平成18)年9月 | 株式会社メディアテック(正社員) |
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2006(平成18)年12月1日〜2017(平成29)年3月31日 |
大阪大学蛋白質研究所
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2017(平成29)年4月1日〜2017(平成29)年9月30日 |
関西学院大学 理工学部
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2017(平成29)年10月1日〜2020(令和2)年9月30日 |
大阪大学蛋白質研究所
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2020(令和2)年10月1日〜2022(令和4)年9月30日 |
大阪大学蛋白質研究所
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2022(令和4)年10月1日〜2024(令和6)年3月31日 |
大阪大学蛋白質研究所
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2024(令和6)年4月1日〜 |
一般財団法人 蛋白質研究奨励会
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取得日 | |
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1993(平成5)年1月7日 | 普通自動車免許1種 |
1993(平成5)年12月8日 | 実用英語技能検定試験2級 |
1993(平成5)年12月5日 | 日本語文書処理技能検定3級 |
1996(平成8)年3月 | 中学校理科教諭免許1種 |
1996(平成8)年3月 | 高等学校理科教諭免許1種 |
1996(平成8)年12月13日 | 情報処理技術者試験2種 |
1996(平成8)年7月8日 | 情報処理技術者試験1種 |
1997(平成9)年10月31日 | 国内旅行業取扱主任者試験 |
1997(平成9)年12月9日 | 初級システムアドミニストレータ試験 |
1999(平成11)年 | 画像処理技能検定CG部門2級[1] |
2002(平成14)年 |
MCP 70-215 (Installing, Configuring, and Administering Microsoft Windows 2000 Server) |
2002(平成14)年12月13日 | CompTIA A+ (220-221,220-222) |
2002(平成14)年12月21日 | CompTIA Network+ (N10-002) |
2003(平成15)1月10日 | テクニカルエンジニア(ネットワーク) |
2005(平成17)年 | 色彩能力検定3級 |
2006(平成18)年2月26日 | 日商簿記検定3級 |
2008(平成20)年 | 環境社会検定(ECO検定) |
2016年(平成28)年 | 天文宇宙検定2級 |
2017年(平成29)年9月1日 | 第二種電気工事士 |
2019年(平成31)年3月 | アクセシビリティリーダー2級 |
2019年(平成31)年4月 | 星空宇宙天文検定3級 |
2022年(令和4)年7月 | 中国語検定試験3級 |
年 | 居住地 |
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1972年4月〜1999年3月 | 奈良県奈良市 |
1999年4月〜1999年6月 | 愛知県名古屋市中村区(住民票はまだ奈良県奈良市) |
1999年7月〜2001年10月 | 愛知県知多市(初の住民票移動) |
2001年11月〜2004年5月 | 三重県亀山市 |
2004年5月〜2004年10月 | 愛知県海部郡美和町(現在の愛知県あま市) |
2004年10月〜2006年9月 | 奈良県奈良市 |
2006年9月〜2007年11月 | 大阪府箕面市(結婚に伴い転居) |
2007年11月〜2024年4月2日 | 大阪府池田市 |
2024年4月3日〜現在 | 大阪府箕面市 |
時期 | 内容 |
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2004年頃〜 | 高尿酸血症、2010年頃に1度痛風発作を発症。 |
2004年9月 | 血尿が出るので名鉄病院(愛知県名古屋市)にて診ていただいたところ、同年8月に膀胱腫瘍のあることが発覚。2004年9月2日、県立奈良病院にて経尿道的膀胱腫瘍切除手術(TUR-Bt、尿道から内視鏡と電気メスを入れ膀胱腫瘍を焼き切る手術)を受け膀胱腫瘍を切除。その後5年間、膀胱鏡(膀胱内を見る内視鏡)による検査で再発は確認されず。 |
2005年10月24日 | 背中にできた大きさ約1cmの表皮嚢腫(粉瘤、アテローム、毛穴の上の皮膚がめくりかえって皮膚の下に袋状構造物ができ角質や皮脂が溜まったもの3)の切除。県立奈良病院にて。 |
2010年頃 | 視野の右上がチカチカして頭痛がした。頭のMRIを取ったが異常が見つからず。 |
2010年頃〜 | 傾斜乳頭(視神経の束が眼球から出ていく点「視神経乳頭」が斜めになっている状態)。 |
2010年2月5日 | ジオン注射(ALTA療法)による内痔核の治療。内痔核に注射を行って血流を抑え、腫れを引かせる。池田市のこじまクリニックにて。 |
2011年 | 角膜上皮びらん。畑作業をしていて目に杭が当たり、角膜が傷ついた。確か左目。起床時そっと目を開けないと目が痛む症状が数年続いた。 |
2016年頃 | 内痔核切除手術。池田市のすぎもとクリニックにて。 |
2020年〜 | 2010年頃より視野と眼圧の検査を定期的に受けてきたが、2020年6月から眼圧を下げる点眼薬の使用を開始。自覚症状はないけど左目に緑内障があるとのこと。 |
2022年12月 | 12/3(土)、階段を数段踏み外し、斜めに着地して左足をぐねったと思ったら、その後左足のふくらはぎから足指の根本までパンパンに腫れてきた。整形外科で診てもらったところ、骨折していることが判明。市立伊丹病院に入院し手術してもらった(入院:12/7(水)〜13(火)、手術:12/12(月)、骨折観血的手術(観血的整復固定術、Open Reduction and Internal Fixation (ORIF))による左足関節外果骨折の処置)。約1年後の2023/12/6(水)固定のため体内に入れていたプレートを除去する手術を受けた(入院は12/5-7の3日間)。 |
2023年4月 | 右膝が時々関節が外れたような感じになり痛みを呈することがあったので、左足首骨折の治療と合わせMRIで調べてもらった(市立伊丹病院にて)。「前十字靭帯断裂、内側半月板後角断裂」との診断だった。医師の話によると、前十字靭帯断裂はマラソンなどの運動では通常発生しないとのこと。交通事故やラグビーなど何か強い力が加わったときに発生し、発生してから不具合の自覚が出るまで数十年かかることもあるそうな。 |